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「熊谷町全図」から見えるその当時の街並み [その他]


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「熊谷町全図」
下田江東 『熊谷大観』(埼玉民報社 大正6)より


 下田江東 『熊谷大観』(埼玉民報社 大正6)に記された「熊谷町全図」。明治時代終わり頃から大正時代前半にかけての熊谷町の周辺を知る地図です。この文献は国立国会図書館のデジタルコレクションに所蔵され、オープンデータとして公開されています。画面上のページをめくりながら、この地図を目にしたとき、熊谷町の市街地周辺、特に荒川土手近くに桑畑が広大にあることが分かります。「養糸大国」と言われた地域ならではの風景が広がっていたことでしょう。江戸時代から桜の名所となっていた熊谷堤の原型がどのあたりにあったかを知ることができます。また、後に市の名勝「星溪園」となる場所には、「池亭」があり、星川の源流となっています。その星川も現在のような直線の水路ではなく、蛇行している様子が分かります。そのほか、熊谷女学校(現在の熊谷女子高校)の辺りは星宮町という町名があったことも興味深いです。かつての地図を見ていると現在との差や同じ点などが面白く感じられます。この地図はその頃の情報を含む宝箱なのかも知れません。



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