埼玉県指定旧跡「吉田市右衛門墓」 [近世]
市内奈良の集福寺に所在する埼玉県指定旧跡「吉田市右衛門墓」の中の吉田宗敬(1739-1813:2代目)の墓を紹介します。
墓石には、「徳翁宗淳居士墓」と戒名が刻まれ、周囲を双龍、青海波文の中に岩島の装飾が施されています。
龍
墓石の後ろには、文政2年(1819)宗敬の7回忌に際し、子の吉田宗敏((1783-1844:3代目)が宗敬の業績を記した碑が建てられています。撰:成島司直 書并篆額:賜布狩衣・男谷思考。 石工は、江戸の名工「窪世祥」。
成島司直(1778-1862):江戸後期の幕府奥儒者。号は東岳。 文化6年より「徳川実紀」の編修を担当し、天保12年諸大夫図書頭、天保14年理由は不明であるが免職謹慎となった。著作に「東の春」「改正三河後風土記」「琉球録話」など。
男谷思考(1777-1840):江戸時代後期の儒者。寛政12年表右筆となる。「寛政重修諸家譜」「藩翰続譜」の編修、韓聘書簡の写字などにあたる。文化10年から代官として信濃、越後に赴任。のち小十人頭を務めた。
墓石には、「徳翁宗淳居士墓」と戒名が刻まれ、周囲を双龍、青海波文の中に岩島の装飾が施されています。
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墓石の後ろには、文政2年(1819)宗敬の7回忌に際し、子の吉田宗敏((1783-1844:3代目)が宗敬の業績を記した碑が建てられています。撰:成島司直 書并篆額:賜布狩衣・男谷思考。 石工は、江戸の名工「窪世祥」。
成島司直(1778-1862):江戸後期の幕府奥儒者。号は東岳。 文化6年より「徳川実紀」の編修を担当し、天保12年諸大夫図書頭、天保14年理由は不明であるが免職謹慎となった。著作に「東の春」「改正三河後風土記」「琉球録話」など。
男谷思考(1777-1840):江戸時代後期の儒者。寛政12年表右筆となる。「寛政重修諸家譜」「藩翰続譜」の編修、韓聘書簡の写字などにあたる。文化10年から代官として信濃、越後に赴任。のち小十人頭を務めた。
2016-12-02 08:25
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