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きかは便便95 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介95回目。今回は「吉田市右衛門宗敏」です。
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下に「吉田市右衛門宗敏」と思われる脇差を差した男性が、「丸に三つ星」の家紋の付いた羽織を着て描かれています。上部には「奉公竭力納 衆務施積而 克欲聖賢是 師 乙巳中元前二日 五山桐樵題」と記されています。読み下すと「公に奉じ、力を竭し、衆務を納め、積を施して欲に克ち、聖賢、是師なり」となります。「竭」はつくす、「衆務」は多くの仕事、「克」は欲を努力して押える、「聖賢」は知徳の最もすぐれた人の意です。右下には「静知斎洞薫謹書」と記されています。
写真は金色で縁取りされており、右側には「贈正五位吉田市右衛門宗敏之像」、下には「大正七年十一月」と印字されています。
「五山桐樵」「静知斎洞薫」がどのような人物かは不明です。
明治38年に描かれた軸物を写した写真で、現物は現在所在不明です。

吉田家は市内下奈良で代々「市右衛門」を名乗り、初代から宗以(1703-1792)-宗敬(1739-1813)-宗敏(1783-1844)-宗親(1816-1868)-宗載(1845-1906)と五代にわたり、社会事業家・慈善事業家として、私財を投げ打って物資などを援助し、近隣の村々などから多くの尊敬を集めました。
2代宗敬は、村内や近村にかかる橋を石橋に架け替えたり、浅間山の噴火の時に被害者に援助物資を送りました。3代宗敏は、用水や河川の改修のためのお金を上納したり、備前掘用水の大改修を行ったり、飢饉への援助を行いました。5代宗載は、凶作の時の食糧援助や教育施設への寄付などを行いました。
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