きかは便郵90 [きかは便郵]
熊谷地域の昔の絵葉書紹介、90回目。今回は「荒川之清流」です。
荒川に木製の冠水橋が架かっています。対岸は、水面から5m程の崖線をもって低位段丘面になり、民家が数軒建てられています。写真左下には河原が写っており、長さ10~20cm程の亜円礫と直径50cmはあるかと思われる礫が写っています。遠方には秩父山地と思われる山並みが写っています。
写真下部には「熊谷名所 荒川之清流 杉浦書店発行」と印字されています。
熊谷市内では、押切橋と久下橋がかつて冠水橋でした。しかし、両橋とも妻沼低地に立地しており、写真のように山並みが写りこむ場所はありません。押切橋より3km程上流の深谷市の植松橋、さらに3km上流の花園橋が冠水橋であり、これより上流になると段丘崖線が10mを超えることから、秩父山地により近い花園橋付近で撮影したものと思われます。
この葉書の製作年代ですが、宛名面通信文記載範囲が1/3になっていることから、明治40年(1907)以降で、宛名面通信文記載範囲が1/2になった大正7年(1918)以前に作成されたものと考えられます。
荒川に木製の冠水橋が架かっています。対岸は、水面から5m程の崖線をもって低位段丘面になり、民家が数軒建てられています。写真左下には河原が写っており、長さ10~20cm程の亜円礫と直径50cmはあるかと思われる礫が写っています。遠方には秩父山地と思われる山並みが写っています。
写真下部には「熊谷名所 荒川之清流 杉浦書店発行」と印字されています。
熊谷市内では、押切橋と久下橋がかつて冠水橋でした。しかし、両橋とも妻沼低地に立地しており、写真のように山並みが写りこむ場所はありません。押切橋より3km程上流の深谷市の植松橋、さらに3km上流の花園橋が冠水橋であり、これより上流になると段丘崖線が10mを超えることから、秩父山地により近い花園橋付近で撮影したものと思われます。
この葉書の製作年代ですが、宛名面通信文記載範囲が1/3になっていることから、明治40年(1907)以降で、宛名面通信文記載範囲が1/2になった大正7年(1918)以前に作成されたものと考えられます。
2016-07-28 09:15
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