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きかは便郵89 [きかは便郵]

熊谷地域の昔の絵葉書紹介、89回目。今回は「中村前大里郡長銅像」です。
大里郡役所と思われる木造2階建て、瓦葺の洋風建物の前に設置された銅像が写っています。
gunchou.jpg
この写真は、明治45年(1912)、中村孫兵衛(1854-1933)の銅像除幕式記念に撮影されたものと思われます。中村孫兵衛は、上中条村に生まれ、23歳の時上中条村戸長を務め、明治12年最初の県会議員に当選、同15年に副議長、同19年に秩父郡長、同23年に南埼玉郡長、ついで大里郡長を歴任し、名物郡長と呼ばれました。その後この銅像は、熊谷寺境内に移されました。

「大里郡」は、明治12年(1879)3月17日、郡区町村編制法の埼玉県での施行により、行政区画として発足しました。「郡」は、府県と町村の間に置かれた広域行政体で、郡役所が置かれ、郡長が任命され、議会が開かれましたが、僅か半世紀でこの制度は廃止されました。大里郡役所は熊谷宿に設置されましたが、大正15年(1926) 7月1日には、郡役所が廃止され、「大里郡」は以降、地域区分名称となりました。

また昨日、本ブログの総閲覧者数が640,000人を超えました。今後ともよろしくお願いします。

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