若宮八幡神社社殿 [建造物]
妻沼地内に所在する若宮八幡神社社殿を紹介します。
本神社は、利根川の堤防際に所在し、言い伝えでは、建久年中(1190-1198)、源頼朝(1147-1199)が下野国那須野ガ原巡行の際、馬を停め、その景勝の素晴らしさを愛でたことに因み、この地に石清水大神宮本地無量寿如来を祀り八幡宮を造営したとされています。現在の本殿は元和二年(1616)に建てられたもので、大破風流造で、部材、壁面に唐獅子、鬼、鳩、神功皇后絵巻など、本殿扉には、風神・雷神の彫刻を施しています。屋根は杮葺きでしたが銅板に葺き替えています。
側面には神功皇后絵巻の場面を描いた彫刻が施されています。
神功皇后絵巻:神功皇后が新羅出兵を行い、朝鮮半島の広い地域を服属下においたとされる戦争を指す。『古事記』『日本書紀』に記載あり。吉川弘文館の『国史大辞典』では、「新羅征討説話」という名称で記述。
本神社は、利根川の堤防際に所在し、言い伝えでは、建久年中(1190-1198)、源頼朝(1147-1199)が下野国那須野ガ原巡行の際、馬を停め、その景勝の素晴らしさを愛でたことに因み、この地に石清水大神宮本地無量寿如来を祀り八幡宮を造営したとされています。現在の本殿は元和二年(1616)に建てられたもので、大破風流造で、部材、壁面に唐獅子、鬼、鳩、神功皇后絵巻など、本殿扉には、風神・雷神の彫刻を施しています。屋根は杮葺きでしたが銅板に葺き替えています。
側面には神功皇后絵巻の場面を描いた彫刻が施されています。
神功皇后絵巻:神功皇后が新羅出兵を行い、朝鮮半島の広い地域を服属下においたとされる戦争を指す。『古事記』『日本書紀』に記載あり。吉川弘文館の『国史大辞典』では、「新羅征討説話」という名称で記述。
2016-06-15 08:39
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