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前中西遺跡発掘調査3 [発掘調査]

前回紹介した、弥生時代の大型住居跡を切って、井戸跡が半分程確認されています(↓赤矢印の間)。
IMGP9165.jpg
この井戸跡の中から、六角形の中空の棒状鉄製品が数点出土しています。熊谷空襲の際、米軍が投下した焼夷弾と思われます。
熊谷空襲は、昭和20年(1945)8月15日0時23分から1時39分にかけてアメリカ軍のB29爆撃機により行われた、埼玉県内における最大規模の空襲です。熊谷市は中島飛行機の部品製造の重要拠点の一つで、同社製品の重要な分配基地の一つと見做されていました。通常、工場爆撃を目的とする場合は精密爆撃が行われていましたが、熊谷市に際してはM17、M19、M47、M69焼夷弾が主に用いられ、あらかじめ住宅地域を攻撃対象とした作戦でした。
焼夷弾は爆撃機より投下後、子焼夷弾を空中で破裂し、燃えながら落下します。出土した焼夷弾は、六角形を呈することから、M47またはM69六角焼夷弾と思われ、空中で破裂した子焼夷弾と思われます。
戦後、井戸を埋める際に、周囲にあった焼夷弾を片づけたものと推測されます。
IMGP9162.jpg
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