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中世石造物調査 [中世]

本日、市史編さん事業に伴う中世石造物調査を行いました。市内肥塚・久下・原島・石原地区の寺社等の調査を7名、2班で行いました。
↓は、肥塚地内にある熊谷市指定有形民俗文化財の肥塚氏供養板石塔婆の拓本を採っているところです。右側が、肥塚太郎光長(康元2年銘:1375)の供養碑と伝えられ、主尊は梵字で阿弥陀如来を表す「キリーク」が刻まれています。左側が肥塚八郎盛直(応安8年銘:1257)の供養碑と伝えられ、主尊は梵字で地蔵尊を表す「カ」が刻まれています。
肥塚氏は、熊谷直季の弟直長が肥塚に住み、肥塚三郎と称したといわれます。大恵保(兵庫県)に進出した一族もいました。
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↓は、肥塚地内成就院墓地にある十王塔の一つです。閻魔王と思われ、背中に寛文(1661-1672)の年号が刻まれています。
十王とは、道教や仏教で、地獄において亡者の罪状の審判を行う判官10尊の総称です。秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪王を指します。亡者は、初七日に泰広王の庁舎で裁判を受けるのに始まり、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、百日、一周忌、三周忌の十回まで次々に各王の庁舎で罪の軽重を判定され、次の世の処世を定められると言われています。
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中世石造物調査 [中世]

本日、市史編さん事業に伴う中世石造物調査を行いました。
6名で2班に分かれ、池上、下川上、上之、久下地域の、寺社・個人宅等を調査しました。
↓は、個人宅に所蔵されている、文永4年(1267)の年号が刻まれた板碑の拓本をとっているところです。
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↓は、平戸の曹洞宗源宗寺本堂屋根に置かれている龍の飾り瓦です。
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本堂には、江戸時代建立された高さ4mあまりの薬師如来と観音菩薩の2体が安置されており、「平戸の大ぼとけ」として知られています。2体の像内に秘伝書があり、それによって調合した馬の病気と、せん気の薬は「平戸の妙薬」として有名となり、近在から訪れる人が絶えなかったということです

中世石造物調査 [中世]

秋晴れの本日、市史編さん事業に伴う、中世石造物調査を行いました。8名で、下川上、上川上地区の寺院等の調査を行いました。
↓は、寺院の境内で、板碑を並べて拓本をとり、調査カードに記入しているところです。
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↓は、下川上にある曹洞宗寺院浄泉寺境内の六地蔵です。六地蔵は、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の6種の世界に生まれ変わりを繰り返す)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものです。
この六地蔵は、四角柱の石柱に、2体づつ3面に地蔵菩薩が刻まれており、写真の2体は、蓮華と錫杖を持物としています。脇には、秋らしく、曼珠沙華が咲いています。
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中世石造物調査 [中世]

市史編さん室による中世石造物調査を行いました。本日は、上中条・今井地区の寺院2箇所を8名で、蚊や蜂に悩まされながら調査しました。
↓は、採拓作業中の、阿弥陀三尊が刻まれた図像板碑です。高さ140cm程で、年号は不明です。
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↓は、庵の脇に集められていた五輪塔や宝篋印塔の部材の調査を行っているところです。
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↓は、、草書体で「南無阿弥陀仏」と書かれた六字名号の板碑です。高さ96cm程で、応安六年(1373)年の年号が刻まれています。
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中世石造物調査 [中世]

本年度の市史編さん事業に伴う、中世石造物調査が始まりました。
初回の本日は、昨年度に引き続き、大麻生地区の調査を8名で行いました。
午前中は、龍泉寺にて調査を行い、午後は、風が強くなってきたため、大麻生公民館にて、個人宅で保管されていた板碑12枚を運びこんで、拓本・記録等の作業を行いました。
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↓は新発見の板碑で、通常の板碑に比べ厚みがある異形の板碑です。阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻んでいます。
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中世石造物調査 [中世]

市史編さん事業に伴う、中世石造物調査を6名で行いました。
午後3時過ぎより雨が降り始めてしまいましたが、大麻生・原島地内の寺院3箇寺の調査を終えることができました。
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↓は、暦応四年(1341)銘の阿弥陀三尊種子板碑です。上下に折れていましたが、接合することができました。
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中世石造物調査 [中世]

秋晴れとなった本日、市史編さん事業に伴う中世石造物調査を、7名で行いました。
調査地区は、川原明戸地区で、個人墓地と寺院を調査しました。
個人墓地の調査では、今まで未調査だった板碑・五輪塔27基が見つかりました。
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↓は、応安六年(1374)銘のある阿弥陀三尊種子板碑です。
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石造物調査 [中世]

本日、市史編さん事業にともなう中世石造物調査を行いました。
市内の三ヶ尻・大麻生地区を中心に6名2班体制で、調査を行いました。
両地区では、新発見の板碑や五輪塔・宝篋印塔が、他の地区に比べ多く確認されています。
↓は、三ヶ尻地区に所在する寺院の無縁墓地の中に所在していた、板碑の調査を行っているところです。
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中世石造物調査 [中世]

市史編さん事業にともなう中世石造物調査を行いました。
本日は、上之地区の2つの寺院を、2班に分かれて調査しました。
↓は、曹洞宗寺院の泰蔵院での調査風景で、五輪塔・宝篋印塔の部材を調査カードに記入しているところです。
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この寺院の山門脇には「禁葷酒(きんくんしゅ)」と彫られた戒壇石(かいだんせき)が建てられています。臭いが強い野菜(ねぎ・にら・にんにく等)は他人を苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口にした者は清浄な寺内に立ち入ることを許さない、またはそれらの物を持ち込むのを禁止するという意味です。
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この戒壇石、裏から見ると実は板碑で、改刻されたものです。
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この板碑は念仏結集板碑で、嘉暦三年(1328)の紀年銘と光明真言が彫られています。

市史編さん中世文書・資料調査 [中世]

8月23日に、熊谷市史中世専門部会の調査が行われました。

この日は、熊谷市史編集委員お2人にお越しいただき、市内の調査を行いました。

はじめに、妻沼展示館において
中奈良長慶寺の3点の文書を調べました。
大永3年(1523)の伝馬手形には、後北条氏の虎印判がはっきりと残っています。

次に、妻沼聖天山において、
永禄8年(1565)の銘のある「銅製仏供杯」を調査しました。
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最後に、東別府香林寺において、
天正18年(1590)8月5日付けの「制札」を調査しました。
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いずれも、平成25年3月に刊行予定の『熊谷市史』資料編2古代中世に
カラー写真、解説つきで掲載される予定です。

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