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旅の記憶‐23 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 4 [紀行]

 飯能焼のデザイナーであつた熊谷市玉井出身の腰塚小四郎について、旅の記憶‐18、19、20で紹介しました。飯能焼は大消費地江戸を販路として造られた日用の品を主に生産していましたから、皿や鍋などは壊れて廃棄されることが多く、東京都内の発掘調査ではたまに出土品として見つかることがあります。
図-01.jpg
 写真は市域の千代地区ゴルフ場開発に伴って発掘調査を行った西原遺跡の出土品にまぎれていた飯能焼の「行平」の破片です。行平の蓋の一部ですが、平たく伸びた縁とかえりの形と外面にトビカンナによる削り痕があり、蓋天井には淡緑色の灰釉がかけられています。これらの特徴は図のような原形をしていました。西原遺跡では縄文時代から古代の集落跡が所在し、江戸時代から明治時代に屋敷があったかは不明ですが、山仕事の作業小屋的なものはあったかもしれません。飯能焼の行平がもたらされた理由の一つになるでしょうか。
 ちなみに千代地区の山林約170町歩は明治期(明治29年)に「千代保護森林組合」を結成し里山の山林資源の保全と管理を始めています。全域が平たんな里山から、薪炭・堆肥となる落葉・山菜・材木の盗難などを防ぐために管理人と事務所が置かれたいといいます。
 里山資源の保護活動を定めた早い事例になります。

 参考文献
飯能市立博物館2001〈特別展〉黎明のとき―飯能焼・原窯からの発信―  
  江南町史資料編4「近代・現代」 江南町史 下巻
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