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肥塚古墳群と古塚古墳石棺 ― 1 [その他]

 肥塚「成就院」の周辺に存在した肥塚古墳群を『熊谷町誌』(1929編纂)や最近の発掘調査内容から一部復元しました。その特徴は、①河原石積石室、②角閃石安山岩の加工礫積石室、③凝灰岩の截石積石室、などの石材を用いた横穴式石室があったことです。玄室平面は弧状の形から「胴張型」と呼ぶ石室構造をしており、古墳時代後期から終末期の築造と考えられます。①の河原石は人頭大の楕円礫が主で石室床に敷く小礫と共に荒川採取と思われます。②角閃石安山岩は群馬県榛名山二ツ岳の噴出溶岩が利根川水系に流れ下ってきたもので利根川流路に面した妻沼低地近辺の古墳に使用例が多く、②の石材利用の古墳としては肥塚古墳群は南限の使用例です。③凝灰岩は明治期に旧諏訪神社跡地から掘出された石棺材1点と蓋石と伝わる石材2点(AとB)で成就院境内に保存展示され、「古塚古墳石棺」と呼ばれる市指定文化財です。この灰白色凝灰岩は市南部の小江川から滑川町に産出する凝灰岩を運んだと考えられます。凝灰岩は産出地近辺の石室には多用されますが石棺への使用は珍しい例です。当初の石棺は灰白色凝灰岩を刳り貫き、長さ約2m・幅1.2m・深さ50cm程の棺身に平石Bを蓋にしたとされていますが、少し疑問が残ります。
使用石材の差異はこれを調達した人々の生活圏や交易活動など様々な観点から考える余地があります。
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「古塚古墳石棺」下部が棺身、上部は蓋石に仮設された石材
※ここまではBUNKAZAI情報 第27号に掲載しました。以降のレポートはその続編です。(新井)

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