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石川 小松の旅ー多太神社を訪ねてーその1 [その他]

 石川県小松市にある多太神社を訪れたのは、昨年の8月。お目当ては、斎藤別当実盛の兜です。
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 妻沼の聖天さまを開いたことで知られる斎藤別当実盛公。ここ多太神社には、実盛の兜、鎧の大袖、脛当が奉納されています。奉納したのは、信濃の武将、木曾義仲。
 みなさんは『平家物語』巻7「実盛」で語られる、実盛と義仲の切ないエピソードをご存知でしょうか。

 義仲が駒王丸と称していた2歳のころ、父・源義賢は大蔵(嵐山町)の戦いで甥の源義平に討たれます。危うく斬られるところであった駒王丸は、実盛に保護され木曽に送り届けられます。保元の乱、平治の乱では源義朝につき活躍した実盛は、その後、平家方との結びつきを強くし、源平合戦では一貫して平家方につきます。篠原の戦いに、老武者として侮られないようにと、白髪を墨で黒く染めて出陣した実盛は、木曾義仲の軍勢と戦います。実盛は疲れも重なり、木曾勢の手塚太郎光盛によって、ついに討ち取られてしまいます。首級を受け取った義仲が、郎党にその髪を洗わせると、黒髪は白髪に変わり、実盛だと確認します。義仲は「実盛は、命を助けてくれた恩人である」と言って、さめざめと泣き崩れたといいます。

 命の恩人である実盛の無残な最期を悼んだ義仲は、その後、その着具であった甲冑を多太神社に納めました。

 実盛の兜は、今でも多太神社の宝物館に納められており、見学することができます(拝観には事前予約が必要となります)。早めに目的地に到着し、境内を散策していると、しばらくして、兜保存会の方がお見えになりました。
「どこからお見えですか?」と聞かれ、「聖天さまのある埼玉県の熊谷から来ました。」と答えると、大変喜んでくださいました。多太神社と妻沼聖天山歓喜院は友好提携を結んでおり、定期的に交流会を行っているそう。案内してくださった保存会の中山さんは、何度か聖天さまにいらしているそうで、熊谷のこともよく知っていました。遥々遠い地で地元のことをよく知っている方に出会って、なんだかこちらもうれしくなりました。
 実盛の兜は、明治33年(1900)に国宝に指定され、その後、文化財保護法の制定時に国指定重要文化財となりました。
 館内に入ると、中央にきらびやかな実盛の兜が展示されていました。しかし、これは複製品。実物は、ガラスの展示ケースに垂れ布をかけて大切に保管されていました。中山さんが垂れ布をあげ、展示ケースの照明をつけてくれました。そこに現れたのは、兜と大袖と脛当の3点。錆の茶色と色あせた布の文様が歴史を感じさせます。
 ちなみに、複製品は二頭作成され、一頭は多太神社に、もう一頭は聖天山に奉納されています。
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※実物は撮影禁止のため、写真は複製品です。



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