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熊谷市名勝「星溪園」木霊鎮祭 [記念物]



本年5月25日に熊谷市名勝「星溪園」で行った木霊鎮祭の様子を動画撮影し、YouTubeで配信しています。翌日に実施した作業は無事に終了しました。どうぞご参照ください。
日時 令和2年5月25日午前10時30分 場所 熊谷市名勝「星溪園」(熊谷市鎌倉町)
祭典 赤城久伊豆神社禰宜 篠田孟宣 主催 星溪園・庭園文化研究会
共催 熊谷市鎌倉町有志 協力 株式会社 森緑園





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熊谷は水車のまちだった [紀行]


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写真 昭和10年頃(上押切)

 荒川は熊谷の土地と自然を産み、市の歴史と文化にも大きな影響を与え続けています。荒川と深くかかわりながら、現在では全く消滅した「水車」取り上げてみました。かつて熊谷の産業を支え、自然エネルギーを上手に利用し風土景観に潤いを与えた熊谷の水車に興味をもってくれたらと考えています。
 埼玉県の水車については1980年代に埼玉県史編編さん室が総合調査を行った「荒川」の報告が基礎的な研究報告と思いますが、その後の研究はほとんど進んでいない状況です。荒川の水車は熊谷の水車なしでは語れないと思い、簡単な紹介を以前行っています『熊谷市公連だより 第8号 第11号 第14号』(※こちらも、ぜひお目通しください)。
 熊谷の水車の特徴は次の点にあります。
 1 荒川の水量・水勢を分水した六堰用水路を利用し、市域の集落まわりに水車施設が展開していた。なお、荒川中流域に位置する熊谷市域より下流地域では殆ど水車は設置されなかった。また、熊谷より上流では荒川本流には「船車」と呼ぶ水車船を設置していた。
 (河合玉堂の長瀞の春を描いた屏風絵「行く春」にも描かれています。また、玉堂は好んで水車を画中に入れています。)
 2 熊谷市域に所在した水車は旧熊谷と江南町で、江戸時代後半期から昭和30年代まで稼働営業していた。市域の産業と結びついた米麦の精製から製粉等が主体で、近隣からの利用も多かった。昭和初年頃の統計等を見ると市域に56基の水車があった。
 3 水車本体の研究は進んでいないが、下掛け式、水輪を片側に備えた切妻建物の写真か残されており、かつての姿をわずかに知ることができる。(また、知られていない写真や図が見つかり公表されることを期待したい。)
 4 水車の消滅は、荒川上流のダムや用水路の新設・改修などで水量・水勢が減少し水車の稼働が難しくなったこと、加えて燃料を動力とする機械化が進んだことによる。
 5 市域には水車施設の痕跡がまだ残る場所があります。現地での観察また、記憶の発掘も
進めていけたらいいと思います。(かつての市内星川にも水車がありました。夢は復元できたらいいな。)
 熊谷の水車は市の記憶からも忘れ去られてしまいそうです。水車に関心を寄せる人が増えることを願います。

 参考図書 埼玉県1988『荒川 ―Ⅰ 荒川総合調査報告書』


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星溪園から世界に向けたメッセージ  [記念物]

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 熊谷市名勝「星溪園」は新型コロナウイルス拡大防止対策により6月30日までの室内利用は中止となります。新型コロナウイルスの感染状況も改善し埼玉県も緊急事態措置が解除されていますが、新たな生活様式への変化を含む感染防止のためにご理解をいただきますようお願い申し上げます。なお、庭園につきましては9時から17時まで見学可能ですので、散策をお楽しみください。

 星溪園では皆様の利用が再開されたときに備えて、室内外の清掃や庭園の管理等を日常的に行っております。本日は熊谷市の文化財保存修理事業のPR大使を務め、イタリア国立ピアチェンツァ音楽院に留学しているソプラノ・レッジェーロの土田彩花さんが星溪園を訪れ、自身の安全、医療従事者やエッセンシャルワーカーへの感謝の意を込めたメッセージ動画を撮影されました。
 今後、音楽院のサイトなどで世界に配信されるとのことです。コロナの収束とともに、そしてその後、音楽や文化財など文化芸術を通じての人々に平和がもたらされるよう願っております。








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星溪園での「木霊鎮め」の儀式 [植物]

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木霊鎮めの儀式

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伐採作業の様子

熊谷市鎌倉町にある熊谷市名勝「星溪園」には高木のケヤキがあり、台風や暴風などで倒木する危険性があることから樹木を伐採する事業を実施しました。樹木の伐採にあたり立木伐採の祓いとして「木霊鎮め」の儀式が執り行われ、翌日作業に入りました。「木霊鎮め」はケヤキが鎌倉町で愛されていた樹木であったことに鑑みて地元関係者有志によって実施されました。赤城久伊豆神社の篠田孟宣禰宜が神事を担当しました。翌日の作業は安全無事に終了しました。祭典の様子は後程、動画として公開する予定です。





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湯殿神社サクラ苗木植樹 [記念物]

 先日5月18日、西別府にある湯殿神社境内南東において、サクラの苗木が神社総代の方々の手により植えられました。
 この植樹は、昨年の今頃にお話をいただいていましたが、この地が国史跡「幡羅官衙遺跡群・西別府祭祀遺跡」にあたることから、現状変更には国の許可が必要でした。
 植樹箇所は、熊谷市教育委員会による確認調査の結果、既に撹乱を受け遺構が存在しない所に植えることで許可がでました。
 サクラの品種は「雅」で、大島系山桜と緋寒桜との自然交配の種で、現在の天皇皇后両陛下が御成婚された際に、皇后陛下の雅子様の「雅」をいただいて、当時「プリンセス雅」と名付けられたものです。
 お話があってから約1年かかりましたが、元気に育ち、名のとおり優美な姿のサクラに成長することをお祈りいたします。

A43B2E54-D537-408D-B7D3-0BA2523124D2.jpeg手掘りにて植樹箇所を掘削
716E23D1-ADB4-49FC-9360-CF4EB7CB4D63.jpeg記念碑も建てられ植樹が完了

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石川 小松の旅ー多太神社を訪ねてーその2 [その他]

 江戸時代の俳人、松尾芭蕉は「奥の細道」巡行の途中、多太神社を訪れ実盛の兜によせて次の句を残しています。
     「  むざんやな 甲の下の きりぎりす  」
 多太神社のパンフレットによると、この句は木曾義仲の家臣樋口次郎兼光が首を検めた時「あな無慚、実盛にて候」から来ており、きりぎりすは、今のこおろぎ(蟋蟀)、栄枯盛衰の情を哀切に詠った名句であるとあります。
 多太神社の参道脇には、芭蕉の石像と句碑が並んでいました。
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 芭蕉が実盛を偲んで詠んだこの句は、熊谷でも親しまれています。妻沼聖天山の北側には、昭和54年に聖天山開創800年を記念して建立された句碑が建てられています。
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 また室町時代には、世阿弥が謡曲「実盛」を書き、歌舞伎の演目『源平布引滝』の中でも三段目の「実盛物語」はとくに有名です。
 多太神社では、毎年7月下旬に実盛を偲ぶ「かぶとまつり」が開催され、謡曲「実盛」の上演や兜の無料一般公開などが行われています。
 実盛と義仲の物語は、長きに渡って多くの人の心を打ち、能や歌舞伎の演目として人々の間で受け継がれています。


【多太神社】
住所:〒923-0955 石川県小松市上本折町72番地
料金:宝物館は事前に予約が必要です。拝観料300円。
   ※連絡先は兜保存会(TEL0761-22-5678)
アクセス:JR小松駅より徒歩15分、JR小松駅よりバスで5分「上本折」バス停下車
     小松空港より車で8分
駐車場:20台


参考文献
奈良原 春作 1982『斎藤別当実盛伝』
柳田 敏司 1996『絵物語 斎藤実盛』
熊谷市立熊谷図書館 2013『斎藤氏と聖天堂』


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石川 小松の旅ー多太神社を訪ねてーその1 [その他]

 石川県小松市にある多太神社を訪れたのは、昨年の8月。お目当ては、斎藤別当実盛の兜です。
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 妻沼の聖天さまを開いたことで知られる斎藤別当実盛公。ここ多太神社には、実盛の兜、鎧の大袖、脛当が奉納されています。奉納したのは、信濃の武将、木曾義仲。
 みなさんは『平家物語』巻7「実盛」で語られる、実盛と義仲の切ないエピソードをご存知でしょうか。

 義仲が駒王丸と称していた2歳のころ、父・源義賢は大蔵(嵐山町)の戦いで甥の源義平に討たれます。危うく斬られるところであった駒王丸は、実盛に保護され木曽に送り届けられます。保元の乱、平治の乱では源義朝につき活躍した実盛は、その後、平家方との結びつきを強くし、源平合戦では一貫して平家方につきます。篠原の戦いに、老武者として侮られないようにと、白髪を墨で黒く染めて出陣した実盛は、木曾義仲の軍勢と戦います。実盛は疲れも重なり、木曾勢の手塚太郎光盛によって、ついに討ち取られてしまいます。首級を受け取った義仲が、郎党にその髪を洗わせると、黒髪は白髪に変わり、実盛だと確認します。義仲は「実盛は、命を助けてくれた恩人である」と言って、さめざめと泣き崩れたといいます。

 命の恩人である実盛の無残な最期を悼んだ義仲は、その後、その着具であった甲冑を多太神社に納めました。

 実盛の兜は、今でも多太神社の宝物館に納められており、見学することができます(拝観には事前予約が必要となります)。早めに目的地に到着し、境内を散策していると、しばらくして、兜保存会の方がお見えになりました。
「どこからお見えですか?」と聞かれ、「聖天さまのある埼玉県の熊谷から来ました。」と答えると、大変喜んでくださいました。多太神社と妻沼聖天山歓喜院は友好提携を結んでおり、定期的に交流会を行っているそう。案内してくださった保存会の中山さんは、何度か聖天さまにいらしているそうで、熊谷のこともよく知っていました。遥々遠い地で地元のことをよく知っている方に出会って、なんだかこちらもうれしくなりました。
 実盛の兜は、明治33年(1900)に国宝に指定され、その後、文化財保護法の制定時に国指定重要文化財となりました。
 館内に入ると、中央にきらびやかな実盛の兜が展示されていました。しかし、これは複製品。実物は、ガラスの展示ケースに垂れ布をかけて大切に保管されていました。中山さんが垂れ布をあげ、展示ケースの照明をつけてくれました。そこに現れたのは、兜と大袖と脛当の3点。錆の茶色と色あせた布の文様が歴史を感じさせます。
 ちなみに、複製品は二頭作成され、一頭は多太神社に、もう一頭は聖天山に奉納されています。
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※実物は撮影禁止のため、写真は複製品です。



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『体と心 保健総合大百科<中・高校編>2020』の刊行 [お知らせ]

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少年写真新聞社『体と心 保健総合大百科<中・高校編>2020』が刊行されました。
同書には、現在の熊谷市出身で女性初の公認医師となった荻野吟子特集の壁紙新聞の縮刷版と解説コラムが掲載されています。同掲載内容の監修と解説コラムの作成を江南文化財センターで担当しました。通常、壁紙新聞は契約者のみの販売となり、一般購入の場合は本書をご利用ください。ご参照いただけたら幸いです。

刊行概要
『体と心 保健総合大百科<中・高校編>2020』
ISBN 9784879817006
出版社 少年写真新聞社
判型 A4
ページ数 288ページ
定価 3771円(本体)
発行年月日 2020年04月

内容紹介(同社ホームページから)
2018年度の 「中学保健ニュース」と「高校保健ニュース」、「心の健康ニュース」の掲示用カラー紙面、B3判特別紙面、指導者用B5付録を1冊に収録。そのときどきの話題の保健情報にいち早く対応した充実の内容は、保存用や保健指導用としてもおすすめです。

詳細は同社ホームページ・サイトをご覧ください。
https://www.schoolpress.co.jp/topics/item/c-700_1.html




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講演「エリザベス・ヴァイニングと棚澤慶治―皇室ゆかりの米国人と熊谷を代表する歌人の交流をめぐって―」 動画配信 [句碑・歌碑]



1月に成田公民館で開催した講演「エリザベス・ヴァイニングと棚澤慶治―皇室ゆかりの米国人と熊谷を代表する歌人の交流をめぐって―」 (熊谷市立江南文化財センター 山下祐樹)の様子をYouTubeで配信しています。
 1949年(昭和24年)12月29日、少年時代の明仁親王(上皇殿下)の家庭教師を務めていたエリザベス・ヴァイニング氏が、熊谷市中西の歌人であり農家の棚澤慶治氏邸を訪れています。これは日本の農家や習俗の状況を視察するためのもので、迎春の餅つき風景などを見学しました。この経験はヴァイニング氏の『皇太子の窓』にも詳しく記されています。棚澤氏とヴァイニング氏との交流が戦後熊谷の文化振興に与えた影響などについて説明しています。どうぞ、ご参照ください。



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福島 喜多方の旅ー會津大仏を訪ねてー その2 [仏像]

  喜多方は福島県の西側に位置し、山形県と新潟県に接しています。県の内陸部なので、東日本大震災の影響はさほど無いように考えていましたが、実際には甚大な被害を受けていました。
 たまたま、災害の前の年に、楼門、本堂、千佛堂の3棟が県の文化財指定を受けていました。そのため、修復費用の一部が県から出ていますが、寺も多くを負担しなければなりません。建物と仏像修復の総工費は、実に11億6千万円。気の遠くなるような金額です。願成寺を訪問した令和元年11月、被害復旧の工事と寄付金募集の活動が続けられていました。
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088E49E2-FD44-4EF1-BAF1-43FB298039BD.jpeg千佛堂
 堂内を一通りご案内いただいた後、庫裡でご住職様にお茶をご馳走していただきました。古い庫裡、崩れ落ちそうな壁。
「自分のことはどうでもいい。自分が生きているうちに寺を何とかしなければ…。」といつも住職が言っている。と案内してくれた秋葉さんが言っていました。感動しました。
 源宗寺も頑張らなければと思いつつ帰路に着きました。
 翌月、願成寺さまからは、源宗寺本堂保存修理事業への寄付金をお納めいただいております。
 またそのほか、牧野先生がこれまでに仏像修復で関わってこられた寺院さまからも、寄付金をいただいております。以下の通りです。
 願成寺さま(福島県喜多方市上三宮町上三宮籬山833)
 地福寺さま(宮城県気仙沼市波路上牧44)
 修善寺さま(静岡県伊豆市修善寺964)
 宮城県気仙沼の地福寺さまは、仏像修復を終えたわずか2年後に東日本大震災に襲われ、津波で甚大な被害を受けておられます。
 保存管理もままならないまま、今にも朽ち果てそうな御堂や仏像たち。事情や程度は異なれど、それぞれ大変な状況に置かれた皆様からのお心とご支援が、活動の大きな支えとなっています。




参考文献
牧野隆夫 2016『仏像再興 仏像修復をめぐる日々』

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