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熊谷デジタルミュージアムでの洋画家「山下仙之助」絵画85点の​特別公開 [絵画史]

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絵画の紹介

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作品リスト

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YouTubeで配信されている動画
https://www.youtube.com/watch?v=7idPyl4GYv4


 「熊谷デジ​タルミュージアム」の絵画室に、熊谷出身の画家で戦後の郷土美術​家として熊谷と浦和を拠点に活動を進めていた画家・山下仙之助が​描いた絵画85点を一般公開を始めました。
 現在、新型コロナウイルス感染拡大対策による県内外の博物館・美術館の休館及​び展覧会中止等の影響から美術品や絵画に触れ合うことが減少して​いる状況の中、インターネットやスマートフォンを介して絵画を鑑​賞できる機会としてお楽しみいただけたらと思います。
 また、2019年12月、坂東洋画会結成100周年記念「山下仙​之助絵画展―日常の美と印象派の系譜」を熊谷市緑化センターで開​催しました。今回の企画の一つとして、その展覧会での展示作品や​ギャラリートークの様子などを撮影した動画を、YouTubeに​掲載し、一般向けの配信を開始しました。
 画像については熊谷デジタルミュージアムの山下仙之助の特設ペー​ジを、加えて、動画についてはYouTubeの江南文化財センタ​ーのページをご確認ください。

画家概要
 山下仙之助(1902-1992 やましたせんのすけ)
大里郡奈良村上奈良(現在の熊谷市上奈良)生まれ。熊谷中学(現​在の熊谷高校)の美術教師であり、埼玉県下初の洋画団体「坂東洋​画会」を発足した画家の大久保喜一(1885-1948)の薫陶​を受け、同会に入会。戦後、山下は埼玉県立浦和高等学校美術教師​として後進の育成に励む傍ら、坂東洋画会を継承した「朱麦会」を​はじめ中央画壇の一翼を担う「白日会」などで活躍。セザンヌなど​ポスト印象派からの影響を受け、西欧体験に基づく独特の画風を確​立し、日常を題材とした多くの静物画と風景画を残しました。


 2017年以降、熊谷デジタルミュージアムの絵画室では、熊谷の​歴史の関わりのある文化財絵画のほか、江戸時代の渡辺崋山、熊谷​出身の画家・森田恒友や山下の師となる大久保喜一、熊谷に画室を​構えた奥原晴湖が描いた絵画を掲載しています。今後も市内にある​美術品画像をフリーデータとして公開できるよう準備を進めていま​す。


問合せ先 江南文化財センター 電話:048-536-5062
               Mail:c-bunkazai@city.kumagaya.lg.jp
               (絵画画像の提供、共有が可能です。ご協力をお願いします。)



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池上遺跡発掘調査について(ほ場整備事業) その5 [発掘調査]

 今回で、連続しての池上遺跡についての記事は終わりになります。
 平成30年度から令和元年度の2か年にわたり発掘調査を実施し、池上遺跡周辺についての多くの情報を得ることができました。
 昨年度については、古墳時代前期に水辺の祭祀を行ったことを示す木製品の検出、同時期の土器に付着した炭化米が確認され、周辺で稲作を行っていたことが分かりました。
 また、今年度は、弥生時代中期の最古級の方形周溝墓の確認、「官」、「宮」などの墨書土器の検出など非常に貴重な調査となりました。
 このように注目される池上遺跡は、熊谷市が計画する道の駅整備に向けて、来年度から最大4年間の事前発掘調査を実施いたします。
 年間を通じ、大変な調査となることが想定されますが、池上遺跡の全体像を把握することができるため、かなり注目に値する調査になります。今後の池上遺跡についての情報をお伝えいたしますので、引き続きよろしくお願いいたします。
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道の駅予定地 全景(白線)
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池上遺跡発掘調査について(ほ場整備事業) その4 [発掘調査]

 今回は水に関わる祭祀についていくつかお話いたします。
この池上遺跡は、その名のとおり水に関する地名です。池上は低地の各所に池が存在していたことからついた名であると想定でき、昭和初期には複数の沼があったことを近隣の古老から聞き、現在でも「湯釜」などの地名が残っていることから、水の豊富な場所であったことが窺えます。
 このことは、これまでの2年間の池上遺跡の発掘調査で身をもって体験することになりました。
現在でも、この池上地区は地下水が豊富で発掘調査時は毎朝の調査区の水抜きから始まります。夏季期間や、台風の時期では一面が湖のような様相になります。
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水没した発掘調査地点

 このような場所で昔は、祭祀をおこなっていたと考えられます。今回の調査ではそれに関わる祭祀遺構がいくつか検出しています。湧泉痕がある方形の土坑があり、そこから桃の種、墨書土器、臼玉が検出しています。これらが出土することから、湧泉祭祀遺構と推定でき、水辺の祭祀を当時おこなっていたことが思い描かれます。
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上:湧泉祭祀遺構 下:検出した臼玉
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池上遺跡発掘調査について(ほ場整備事業) その3 [発掘調査]

 池上遺跡について3回目の記事です。
 今回は、河川跡から検出した墨書土器について紹介します。
 本調査で、弥生時代から江戸時代にかけての遺構、遺物が検出しています。弥生や古墳時代の遺構は河川跡によって切られており、その河川跡からは多量の土器が確認されました。堆積状況から河川の氾濫によるものと考えれ、検出遺物から奈良、平安時代(8世紀後半から9世紀初頭)と判断できました。
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 そのうち数点からは、須恵器坏の底部に墨で文字を残した「墨書土器」が確認されました。
 書かれた文字は、「宮」もしくは「官」や、「●刀自」、「豊」などで、「宮」もしくは「官」はこれまでに4点検出しています。
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 この池上遺跡はかつての埼玉郡の西端に位置しており、これまでに、この埼玉郡の郡衙(役所)は熊谷市域に存在すると考えられており、池上遺跡やこの遺跡の北に位置する北島遺跡も候補に挙がっています。
 今回、このような墨書が検出したことは、この郡衙を考える一つの判断材料になるものと考えられます。
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池上遺跡発掘調査について(ほ場整備事業) その2

 今回の調査では、もっとも古くで弥生時代中期の方形周溝墓が検出しています。
過去の調査では、数百メートル西の国道17号バイパスを造る際の発掘調査(小敷田遺跡)では、関東最古級の方形周溝墓が3基検出していますが、今回の調査の方形周溝墓はこれよりも古い時期と考えられます。
 調査範囲幅が極小なこと、古墳時代以降の遺構が重複していることから、正確な基数は確定できないですが、少なくとも3基以上は確認されています。
 墓域等の詳細なデータを得ることは、今後の調査に期待することになりますが、当時の墓制を知る上で大変貴重な成果と言えます。
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方形周溝墓(白線部分)
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弥生土器(周溝墓検出遺物)
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池上遺跡発掘調査について(ほ場整備事業) その1 [発掘調査]

 本日から数回に分けて、令和元年度調査の池上遺跡発掘調査成果についてお伝えいたします。
 本調査は、昨年から2か年に分けて実施しているもので、今月の3月末をもって終了になる事業です。
 事業は、埼玉県が主体となって実施している市内池上地区のほ場整備事業で、発掘調査はその内、水路部分の調査です。今年度は10月から実施し、現在佳境に入っております。
 これまでの調査で、弥生時代中期から江戸時代にわたる遺構、遺物が検出されており、河川跡、沼跡、溝跡、掘立柱建物跡、方形周溝墓、祭祀遺構、土坑、ピットなどが確認されています。

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上空からの調査区風景

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遺物検出状況
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星宮地区文化財マイスター養成講座「熊谷市星宮地区の文化財」レクチャー動画 [普及事業]



熊谷市下川上の星宮公民館及び近隣の宝乗院愛染堂で開催した星宮地区文化財マイスター養成講座「熊谷市星宮地区の文化財」でのレクチャーの様子を収録し公開しています。地域の文化財や歴史探訪のガイド案内としてご利用ください。受講されたメンバーは星宮地区文化財マイスターとして星宮地区の歴史紹介や現地案内などを担当していただく予定です。






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石上寺の熊谷桜 [花]


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熊谷市鎌倉町に所在する石上寺の本堂東側、旧熊谷堤上にある熊谷桜(クマガイザクラ)が開花し、七分咲きの状況になっています。岡安住職によると、例年より10日ほど早い開花状況で、まもなく満開を迎えるとのことです。地球温暖化などの影響があるのかも知れません。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。市内各地の河津桜も通常より早く満開している地域もあり、これから引き継いで咲くソメイヨシノも早咲きとなることが予想されます。春の到来を待ちましょう。







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熊谷市指定文化財の解説板設置にフランス人研修生が参加 [普及事業]


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熊谷市指定有形民俗文化財「石像十三仏」解説板

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熊谷市指定天然記念物「くろがねもち」解説板

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熊谷市指定名勝「長島記念館・邸宅」解説板の設置。左側がオスカー・ラヴィさん。


 熊谷市池上地区の梅岩院にある熊谷市指定有形民俗文化財「石像十三仏」、肥塚地区にある市指定​天然記念物「くろがねもち」、小八林地区にある市指定名勝「長島記念館・邸宅」の市内3カ所​に解説板を設置しました。設置作業では、熊谷市内の企業で研修しているフランス人のオスカー・ラヴィさんが参加し、熊谷市における文化財に関連した業務に興味深く取り組んでいました。


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熊谷市名勝「星溪園」企画展「屏風の文化史―犀東と出雲―漢詩人・国府犀東と出雲の文化交流をめぐって​」 [展示]

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熊谷市名勝「星溪園」積翠閣ギャラリーにおいて、大正時代に史蹟​名勝天然記念物保存法の制定に関わった漢詩人・国府犀東の揮毫漢​詩が含まれる屏風を初公開します。加えて、俳人・河​東碧梧桐の揮毫俳句を含む屏風を併せた2点を特別公開しています。

とき:令和2年3月1日(日)〜4月26日(日)
     午前9時〜午後5時(休園日:毎週月曜日)
ところ:星溪園積翠閣ギャラリー(熊谷市鎌倉町32) 入場無料

概要:
1919年の史蹟名勝天然記念物保存法の制定に関わり国内​の文化財記念物保存の基礎を作った国府犀東(1873-1950​)の漢詩や出雲大社神職・北島斉孝の書などを含む屏風(六曲一双​屏風H137×W280cm)を初公開します。国府が出雲の日御​碕(ひのみざき)を訪れた際に詠んだ漢詩をはじめ、国府と出雲大​社の影響関係を知ることができる内容です。加えて、俳人・河東碧​梧桐の俳句短冊などを含む屏風を合わせた2点の屏風を特別展示し​ます。

解説:国府犀東(こくぶ さいとう 明治6年(1873年)2月 - 昭和25年(1950年)2月27日)
戦前日本の記者、官僚、漢詩人。石川県金沢市出身。新聞記者を務​めた後、内閣、宮内省、文部省等で地方改良運動、近代社格制度、​1919年の史蹟名勝天然記念物保存法の制定などの文化財行政に​関わった。また慶應義塾大学予科、旧制東京高等学校で漢文を講義​した。『犀東文集』『龍吹鶴語』等の著作がある。号は金沢西部を​流れる犀川の東畔に生まれたことに由来する。対岸で生まれた室生​犀星はこれを受けて犀西の意で犀星と名乗ったといわれている。今​回初公開される屏風は、昭和時代初期から熊谷市中奈良の稲荷神社​に伝来していた色紙類を屏風に貼付したものと推定され、現在は星​溪園で保管している。


問合せ:江南文化財センター 電話048-536-5062



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