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熊谷市相上・吉見神社の節分祭 [民俗]

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須長宜久宮司のお話を聞く吉見保育所園児たち

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赤鬼の登場と豆まき

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吉見神社社殿への豆まき

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吉見神社特製の豆

 2月3日は節分です。翌日の立春を控えて、各地で節分会や節分祭、豆まきが開かれています。豆まきの豆は穀物のひとつとして、室町時代以降、生命力と魔除けの呪力が備わっているという信仰があり、「魔目(豆・まめ)」という語呂に合わせて、鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」という意味から、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという風習が各地にあります。熊谷市内にも多くの寺社仏閣で節分会が開催され、多くの人々で賑わっています。

 本年訪れたのは熊谷市相上に所在する吉見神社の節分祭です。地元の吉見保育所の園児も参加しました。須長宜久宮司のお話の後、赤鬼青鬼が登場し、園児は豆まきに興じました。また社殿に向かって「鬼は外」を3回、「福は内」を3回と唱えるという方法で豆まきをしていました。地域に根ざした神社での節分豆まきを楽しんでいました。吉見神社特製の豆も販売されるなど、甘酒やお汁粉を味わいながら、地域住民の憩いのお祭りとなっていました。


 吉見神社の創建年代等は不詳ですが、景行天皇五十六年に御諸別王が当地を巡視した際に、開拓されていない不毛の地であることを嘆いて、多くの里人を移して多里郡(大里郡)を設置、天照大神ゆかりの筬を神体として天照大神を祀ったとも伝わります。 また、御諸別王が関東下向の時、泉が湧き出し、数万町の水田が日ならずして成ったことから天照大神を斎い祀ったという伝説もあります。かつて当社は上吉見領23ヶ村の総鎮守として祀られていましたが、応永(13941-1428)の戦乱により相上・玉作・箕輪・甲山・小八ツ林の鎮守となった後、江戸時代後期には相上の村社鎮守となったと伝わります。

 江戸時代中期には相上神楽が発祥しました。この神楽は、坂戸大宮住吉神楽の系統に属し、曲目は、国取、三人和合、氷の川、岩戸開などの演目がありましたが断絶。しかし、平成時代になり近代神楽の伝承を主としての復活を遂げ、現在まで継承されています。



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