SSブログ

会津八一の生涯と芸術論序説―美術史家と熊谷短歌文化の関わり




2019年3月2日に熊谷市中西のアートスペース「二十二夜」で開催した「会津八一の生涯と芸術論序説―美術史家と熊谷短歌文化の関わり」の様子を動画として、江南文化財センターのYouTubeサイトにて公開しています。
 なお、同イベントを開催した「二十二夜」の店主である青山延子さんが、市報くまがや4月号裏表紙特集「情熱世代 夢追い人」で紹介されています。紙面ではこのイベントの様子が写真で掲載されていますので合わせてご参照ください。



nice!(0)  コメント(0) 

情報誌「NAOZANE」4月号の連載「わたしのまちのキラッとさん」で江南文化財センター所長が紹介されています。 [お知らせ]


image.jpg
情報誌「NAOZANE」4月号「わたしのまちのキラッとさん」

フリーペーパーの情報誌「NAOZANE」4月号の連載「わたしのまちのキラッとさん」で熊谷市立江南文化財センターの吉野健所長が紹介されています。歴史への興味、考古学との出会い、現在の熊谷市における文化財保護について、担当者としての長年の悲願であった「幡羅官衙遺跡群」の国史跡指定など、熱い想いが語られています。記事は熊谷市のマスコットキャラクター「ニャオざね」の作者であることなさんが執筆しました。市内各所で無料配布されています。どうぞご参照ください。


nice!(1)  コメント(0) 

熊谷市立熊谷図書館 企画展 「追悼・金子兜太 ~現代俳句の牽引者~」 [展示]


image.jpg

熊谷市立熊谷図書館3階 美術展示室にて、平成31年度企画展『追悼・金子兜太 ~現代俳句の牽引者~』が開催されています。

開催概要
会期:2019年4月2日(火曜)から5月19日(日曜)
〔休館日:毎週月曜日(祝日は開館)、4月5日、5月7日、5月10日〕
会場:熊谷市立熊谷図書館3階 美術展示室
時間:午前9時から午後5時 
入場無料

特別企画
5/18には、13:30〜
俳人 黒田杏子氏による記念講演会
こちらは、450人の抽選になりますので、
往復はがきにて、御応募ください。
(4/12(日)必着)
(参加費 無料)

問合せ
《熊谷市立熊谷図書館 美術 郷土係》
〒360-0036
熊谷市桜木町2-33-2
電話 048-525-9463


nice!(1)  コメント(0) 

新元号「令和」と梅と兜太俳句 [花]

image.jpg

「平成」に代わる新しい元号が「令和」に決まりました。「れいわ」と読みます。出典は日本の古典「万葉集」であり、中国古典(漢籍)ではなく日本の古典から採ったのは確認できる中では初めとのことです。「令」という漢字が元号に使われるのは初めて。平成は1989年1月8日からの30年4カ月で幕を閉じ、天皇陛下の退位に伴い5月1日午前0時から新元号「令和」に切り替わります。

 令和は『万葉集』巻五、「梅花の歌」三十二首の序文、「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮(はい)後の香を薫らす」から引用したとの政府からの説明がありました。「令和」のローマ字表記は「REIWA」で、外務省はこの表記で195カ国や国際機関に通知しました。

 令和の引用元になった万葉集の梅花の歌に目を向けてみると、歌人としても名高い大伴旅人が、730年(天平2)正月13日に九州の大宰府にあった自宅で役人らを招き、梅の花を題材にした歌会「梅花の宴」を開いたという背景があります。そこで詠まれた32首の序文から「令和」が導かれたのです。早春に咲く梅の花、その麗らかさが想像できるようです。

 そうした逸話に触れると、熊谷の俳人、故・金子兜太氏の俳句を思い起こします。兜太氏の処女作は「白梅や老子無心の旅に住む」であり、熊谷の移住し、自邸「熊猫荘」の梅を主題とした「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」という記念碑的な代表句もあります。

 新元号から梅を思い、熊谷の俳句を思い起こす。新たな時代に向けての想像の旅には春らしい雰囲気が醸し出されることでしょう。





nice!(0)  コメント(0) 

鹿児島寿蔵熊谷草歌碑建立除幕式 [句碑・歌碑]


image.jpg
建立された鹿児島寿蔵熊谷草歌碑

image.jpg
歌碑と寿像、熊谷草保存活動について記した解説板を併せて設置した

image.jpg
序幕の様子


 2019年3月30日、熊谷市名勝「星溪園」にて、新たに建立された鹿児島寿蔵熊谷草歌碑の除幕式が開催されました。鹿児島寿蔵の歌碑には、「熊谷草なくてかなはじと星池に植ゑて福ぶくしき花を咲かしむ」という寿蔵が詠んだ歌が刻まれています(刻字は一部異なる)。歌意は「熊谷草がなくてはならないと星溪園に熊谷草を植えてふくよかな花を咲かせている」です。

 「熊谷草(クマガイソウ)」は、その花の形が、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将である熊谷次郎直実が矢などを防ぐために馬上で背負っていた「母衣(ほろ)」の形に似ていることから名付けられました。昭和時代後半、熊谷地域では自然植生はなく、苗の移植による栽培などが主流でした。

 熊谷地域での熊谷草の保存は、1970年代後半から地元の愛好団体を中心に続けられ、1979年に熊谷草保存会を結成。熊谷の各地に株を植栽し、花を咲かせる活動が進められてきました。

 熊谷での熊谷草の保存活動が進められる中、東京の自宅が焼失し、戦中・戦後、熊谷に疎開していたアララギ派の歌人で人形作家の人間国宝・鹿児島寿蔵(1898~1982年)が、歌人の棚澤慶治らの働きかけにより、1980年5月に熊谷市名勝「星溪園」や江南地域など熊谷草の生息地を訪れています。その際、寿蔵は地元での保存活動に想いを寄せて、冒頭の短歌を残しました。この歌は保存活動の励みになったといわれています。

 20世紀終盤、熊谷草保存会は星溪園や市内各地などへの植栽を続けたましたが、熊谷草の継続的な保存には困難を極め、2014年に熊谷草保存会は解散しました。こうした経緯を踏まえ、熊谷草の保存活動を顕彰するため、この地に鹿児島寿蔵の直筆揮毫の歌碑建立に至ったものです。

 熊谷短歌会会長・熊谷文化連合会長の金子貞雄氏を中心に、藤間憲一氏(熊谷商工会議所会頭)、野原晃氏(熊谷市教育員会教育長)、八木橋宏貴氏(株式会社八木橋代表取締役社長)らが呼び掛け人として名を連ねました。事務局幹事は金子氏のほか、小川美穂子氏、米山実氏らがが担当しました。

 平成30年11月~平成31年2月に寄附募集を行い、市内外から建立想定額(60万円)を超える寄付が集まり、解説板や報告書費用などに充当するほか、今後は鹿児島寿蔵の顕彰、熊谷草保存のための調査研究のための基金として使用する予定です。

 星溪園には埼玉県下で最古級の芭蕉句碑(後の時代の人が建立した顕彰碑)や、俳人の山口青邨(やまぐちせいそん)、元熊谷市長の斎藤紫石(さいとうしせき)の句碑があります。また、鹿児島寿蔵の歌碑は熊谷市上之の龍淵寺にも建立されています。併せて総合的な啓発を行い、歌碑めぐりなどを計画する予定です。教育委員会としても、星溪園における歌碑を通じて、鹿児島寿蔵や棚澤慶治などの歌人と地域との関わりや、熊谷草についての情報発信や顕彰を市民協働として進めていきたいと考えています。







nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。