中条堤―1 寛保の大水害と利根川の堤防普請 [その他]
貴総門 |
寛保2年(1742)8月、関東地方はかつてない荒天により主要河川は氾濫し甚大な被害を受けています。「寛保の大水害」といわれ、中条堤と利根川堤防も大きく破堤したようです。この水害による復興工事は幕府主導で諸大名に手伝わせる御手伝普請として同年11月より開始され、妻沼付近は長門岩国藩(吉川経永6万石)が担当しました。この復興工事は被害を受けた地元の老若男女の農民が人足として働き、賃銭を得て生活の糧とした救恤事業の一面がありました。
この災害により、聖天堂の建築工事が一時中断したとされますが、岩国藩士との人的に交流の中から貴総門の設計協力が行われました。
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