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中条堤―2  堤の機能 [その他]

 利根川から中条堤の間は、自然堤防上に集落が乗り、合間は水田や畑地等が広がっています。かつては利根川の流路であり、中条堤が一時的に利根川の水を滞留させ、流量を調節する機能を持たせたことから、一旦氾濫すると堤内は水没し住宅や農作物などへの水損被害をまともに受けました。現在は利根川堤防により、中条堤の役割は少なくなっていますが、大規模土木遺産としてその姿と歴史的役割は長く記憶されるものです。
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中条堤(北河原堤)の説明版

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昭和22年(1947)の航空写真に見る中条堤と利根川
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第66回朝聞書展 高橋香韻「倫敦塔」 [展示]

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高橋香韻「倫敦塔」

 2019年2月3日まで東京上野の東京都美術館において「第66回朝聞書展」が開催されています。本展は朝聞書会が主催する書の展覧会で、熊谷市美術家協会の高橋香韻さんが特別賞を受賞し、審査会員に推挙されるとの朗報が届きました。どうぞ、ご参観ください。

 高橋さんは夏目漱石の『倫敦塔』を主題として、躍動感と静寂さを併せ持つ作品を書き上げました。『倫敦塔』は、夏目漱石の短編小説で、1905年(明治38年)、『帝国文学』に発表。 留学時に見学した倫敦塔への体感を描いたものです。高橋さんは源氏物語研究で博士の学位を得ており、古代文学の研究者としても知られています。



開催概要
第66回朝聞書展
日時:平成31年1月28日(月)~2月3日(日)
    午前9時30分~午後5時30分
会場:東京都美術館
主催:朝聞書会 後援;毎日新聞社



朝聞書会(ちょうぶんしょかい)(当会ホームページより)
https://sites.google.com/site/chobunshokai/

 「朝聞會」は松井如流により昭和3年に命名、設立された。会名は「論語」の里仁篇の「子日く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」とあるに依る。昭和18年に第1回朝聞書會展を開催し、昭和29年から昭和31年は東京都美術館で開催した。昭和32年に東方書道院が再興するに至り、東京都美術館の会場を朝聞書曾展から東方書道展へ譲り渡した。そのため朝聞書會は一時休会となり、松井門下生たちは東方書道展に参加した。だが、東方書道展は大作主義を標榜したことなどから、門下生らの要望に応じ、松井如流は「時代に即応した力強き新風を書道会に送りたい」との念願のもと、朝聞書會が長年堅持してきたところの「清新なる書風確立」の精神をさらに発展せしめると宣言し、東京書道会を新たに発足させた。また、朝聞書曹は9年間の空白を経て、昭和40年に再開した。長らく東京書道会展と朝聞書會展の両展は並走する形で開催されていたが、平成25年に朝聞書會と東京書道会を統合し、新たに「朝聞書会」と改称した。平成26年1月に第61回朝聞書展を開催した。伝統を根底にして親代性を意識した書を目指している。

     


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中条堤―1  寛保の大水害と利根川の堤防普請 [その他]

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貴総門
 冬季の関東地方は乾季に当たっており、昔から土木工事は雨水の少ないこの時期に集中して行われてきました。とくに水防工事は多くの受益者が農民であり、農作業が少ない農閑期はその人手も集めやすいことから計画的に行われていました。その年の破堤や嵩上げなど修築や補修工事を来季まで持ち越さないように、堤の地固めや「水制」用の蛇籠に詰める河原石など採取には多くの人出を必要としていました。
 寛保2年(1742)8月、関東地方はかつてない荒天により主要河川は氾濫し甚大な被害を受けています。「寛保の大水害」といわれ、中条堤と利根川堤防も大きく破堤したようです。この水害による復興工事は幕府主導で諸大名に手伝わせる御手伝普請として同年11月より開始され、妻沼付近は長門岩国藩(吉川経永6万石)が担当しました。この復興工事は被害を受けた地元の老若男女の農民が人足として働き、賃銭を得て生活の糧とした救恤事業の一面がありました。
 この災害により、聖天堂の建築工事が一時中断したとされますが、岩国藩士との人的に交流の中から貴総門の設計協力が行われました。
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貴総門

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熊谷の「木遣り」と「塚」 [その他]

 建築工事の基礎工事として行われる「地形(じぎょう)」はかつての鳶職等の専門職人を中心に行なわれた。やぐらや足場を組み地固めに使われる「芯棒」を引っ張り上げ落とすことで地均しや地固めを集団作業で行うものであるが、機械化が進んだ今ほとんど見ることなくなった。この仕事歌として歌われたのが「木遣り」で、熊谷の木遣りは市指定民俗文化財となっており、保存継承活動を続けている木遣保存会では60種類ほどの曲目が伝承されているそうです。現在でも、「出初式」や「うちわ祭り」で歌われています。
 写真は成田地区と奈良・大幡地区に建てられた「木遣塚」です。事業に使われた芯棒をモニュメントとした木遣塚です。下部に縄掛用の突起が付けられています。熊谷市内にはこのような「木遣塚」が高城神社をはじめ5箇所余り建てられており、主要な仕事であったことを伝えています。
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成田地区に建てられた「木遣塚」 奈良・大幡地区に建てられた「木遣塚」

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荻野吟子の掲示用写真新聞が全国へ [普及事業]

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荻野吟子を主題とした掲示用写真新聞

今年は熊谷出身で日本初の女性医師となった荻野吟子の映画化などがあり、吟子への関心が高まっています。そうした動向に関連しながら、小中学校や高校、公共施設などに掲示される少年写真新聞社発行の掲示用写真新聞、「心の健康ニュース」の2月版に、荻野吟子が取り上げられることになりました。全国で掲示される予定です。ご参照ください。

少年写真新聞社、掲示用写真新聞のページ
http://www.schoolpress.co.jp/2018news.htm




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妻沼聖天山・文化財防火デー消防訓練 [普及事業]

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国宝「歓喜院聖天堂」を前にしての放水訓練


 熊谷市妻沼の妻沼聖天山において毎年恒例の文化財防火デー消防訓練が開催されました。国宝「歓喜院聖天堂」と国登録有形文化財「歓喜院仁王門」の間にて発火し、初期消火を実施した後に放水銃を用いての消火活動を展開しました。
 妻沼聖天山には近隣住民による防災協力隊が組織されており、緊急時の防火活動の担い手としての役割を持っています。今回の消防訓練においても防災協力隊の機敏な消火活動が見られ、妻沼聖天山に所在する数々の文化財は所有者と地域の人々の協力によって守られていることを再確認することができました。





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石原八束句碑「風の餘燼の落葉月夜となりけらし」 [句碑・歌碑]


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石原八束句碑
「風の餘燼の落葉月夜となりけらし」

妻沼聖天山北側にある妻沼公民館前に建立された俳人・石原八束の句碑です。昭和50年(1975)に堀越敬紀ら有志による句碑建設会が中心となり建立が果たされ、本人による独特の揮毫が印象的です。句は句集『空の渚』に所収された代表作の一つです。裏面の説明は熊谷の書家、柴田侑堂が担いました。石原八束(1919-1998)は飯田蛇笏や三好達治らに師事し、俳誌「秋」を主宰しました。現代俳句に叙情性をもたらしたことで知られ、芸術選奨文部大臣賞など数々の高い評価を得ています。






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平成31年熊谷市火災防御演習 [普及事業]

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能護寺本堂への放水

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負傷者の救出と搬送

 1月20日、熊谷市永井太田の能護寺で、平成31年熊谷市火災防御演習が開催されました。複数の文化財を有する古刹の能護寺本堂から出火し、初期消火に失敗、消防通報による消火活動と、消火を試みた人が負傷し救出と救急搬送するシチュエーションで演習を実施しました。
 文化財防火デーとは、昭和24年1月26日に法隆寺金堂壁画が焼損したことから、この日を中心として文化財を火災、震災その他の災害から守るため、全国的に文化財防火運動を展開し、国民一般の文化財愛護に関する意識の高揚を図る目的で昭和30年に制定されました。熊谷市では、消防本部と教育委員会が合同で、文化財所有者に防火啓発を促すとともに、地域の方々を始め消防団と連携し演習及び消防訓練を実施しています。



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西別府地内(幡羅官衙遺跡群地内)での開発行為における取り扱いについて [お知らせ]

 平成30年2月13日付けで本市、深谷市に所在する「幡羅官衙遺跡群(西別府祭祀遺跡、幡羅官衙遺跡)」が国の史跡に指定されました。

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幡羅官衙遺跡群(西別府祭祀遺跡ほか関連遺跡群)

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幡羅官衙遺跡群(西別府祭祀遺跡ほか関連遺跡群) 空中写真

 これに基づき、指定範囲及び今後保護を要する範囲が定められ、その範囲内における取り扱いについては次のとおり御理解、御協力をいただくこととなります。

 以下の地図内の赤枠が指定範囲、黄枠が今後保護を要する範囲となります。

 また、黒枠は各々の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)の範囲です。

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国指定範囲:住宅等の新築、増改築をはじめとする土地の現状変更の禁止等様々な制限があります。
今後保護を要する範囲:通常の埋蔵文化財包蔵地としての取り扱いのほか史跡に関連する遺構が埋蔵されている可能性が高いことから保護・保存の措置を講ずる必要があります。


したがって、当該範囲での開発行為を計画される場合、事前に熊谷市立江南文化財センターまで御連絡、御相談くださいますようお願いいたします。


西別府地内(幡羅官衙遺跡群地内)での開発行為における取り扱いについて[PDF形式 3.10MB]
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/shisetsu/kounan/data/toriatukai_hara.pdf


熊谷デジタルミュージアム「幡羅官衙遺跡群の部屋」
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/nishibeppu/index.htm


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晴湖の道保存会と立正大学原美登里研究室による熊谷市上川上地区での取り組みについて [絵画史]

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晴湖の道保存会と立正大学原美登里研究室との打ち合わせ会議


 熊谷市上川上地区(旧上川上村)に画室を構えた画家の奥原晴湖の顕彰を進めている「晴湖の道保存会」と、立正大学地球環境科学部地理学科の原美登里准教授が、現在進めている上川上地区でのフィールドワーク調査について情報共有の打ち合わせ会議を実施しました。原美登里研究室では、上川上地区の史跡や石造物、水文化などについて調査を進めており、当地にゆかりの深い画家の奥原晴湖の絵画などにも関心を深めています。この上川上地区には2019年ラグビーワールドカップの開催地となる熊谷ラグビー場があり、開催と合わせて来訪者に上川上地区の文化や歴史を知ってもらおうという事業を準備しています。その一例として晴湖の道保存会では「晴湖」と冠した日本酒の販売を目的とした取り組みを進めています。原研究室でも地域の歴史を発信する媒体の準備に向けて調査を加速しているとのことです。熊谷市教育委員会としてもこれらのプロジェクトに協力しながら、ラグビーワールドカップに向けて、地域文化の再認識や発信に努めていきたいと考えています。



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