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Yahoo! 未来に残す戦争の記憶「終戦の日の空襲 埼玉県熊谷市」の公開

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Yahoo! JAPANでは、「未来に残す 戦争の記憶」プロジェクトとして「空襲の証言映像」「日本各地の空襲のデータ」「戦地からの手紙」「戦地の風景などが描かれた絵葉書」などをインターネットで公開しています。この度、熊谷空襲について特集した動画を含むサイトが公開されました。本年8月から9月にかけてYahoo!取材班が熊谷市内を訪れ、証言の収録や資料の撮影などを行いました。取材に際して熊谷市教育委員会がコーディネートを行い、江南文化財センターにて米軍資料に関する調査報告などについての解説動画が収録されています。戦後から70年以上が経過し、熊谷空襲の体験者から証言を得ることは難しい状況があります。こうした中で撮影された証言動画は大変貴重なものであり、戦争の記憶をアーカイブスする上でも有意義な取り組みであったと思われますので、どうぞご参照ください。

未来に残す戦争の記憶 「終戦の日の空襲 埼玉県熊谷市」特集サイト


概要
Yahoo! 未来に残す戦争の記憶「終戦の日の空襲 埼玉県熊谷市」
紹介メッセージより

埼玉県北部の熊谷市は、終戦の日の8月15日に市街地をほぼ焼き尽くす空襲にあいました。米軍の空襲の大きなねらいは日本の生産力を労働者の暮らしとともに破壊することで、熊谷は市内の各所に軍用機の部品工場がいくつもあったことで標的になったと言われています。

なお、日本の敗戦が決まっているにも関わらず徹底的な空襲が行われたのはなぜだったのでしょうか。8月10日に、一旦は連合国が発したポツダム宣言を受け入れると答えながら、徹底抗戦を叫ぶ軍部を抑えきれずに正式な降伏の受け入れ表明をしない日本政府を追い込むためだったと言われています。

終戦の日の空襲で熊谷では266人が死亡、さらに秋田県土崎、群馬県伊勢崎、神奈川県小田原などにも空襲がおこなわれ、この終戦の日に600人以上の犠牲者が出たとされています。

熊谷空襲で炎の中を逃げまどった人の体験談、そしてこの空襲を調査して未来に伝えようという若い世代の取り組みも紹介します。地元・埼玉新聞社の協力で取材・制作しました。



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