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愚禅和尚が記した「如意輪観世音」 [仏像]

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力強い揮毫が特徴の如意輪観世音

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石碑の左側には前大乗九十翁愚禅と刻まれている。

 先日熊谷で開催された如意輪観音の二十二夜様行事に関連して、熊谷市東別府の個人邸に石造の如意輪観世音があるとの情報が寄せられ、確認したところ揮毫したのが愚禅和尚であることがわかりました。石碑の左側には前大乗九十翁愚禅と刻まれています。愚禅は享保18年(1733)に丸貫村(吉見町)に生まれ羽尾村の旧家の養子となり、興長禅寺の癡天愚和尚によって剃髪し、13歳で長州(山口県)功山寺に赴き修行。宝暦12年(1762)、羽尾村に戻り、興長禅寺二十世住職となりました。その後、永平寺(福井県・道元の開山)などで修業を積み、次第に名声が高まり、加賀の大乗寺(石川県・曹洞宗の名刹)の管主にもなった名僧です。晩年は、武州に帰り妻沼の瑞林寺、久下の東竹院、原島の福王寺などに隠居し、名筆家の名により付近の村人達から多くの石塔に揮毫を求められたそうです。文政12年(1829)に没して、福王寺跡に墓地があります。今回の観音石碑は平成6年に熊谷市立図書館が刊行した『愚禅和尚を訪ねて』のリストにも含まれていないため、新たな発見になったのかも知れません。愚禅は97歳まで生きた長寿であり、熊谷地域での揮毫の数が多い晩年の時期に建立されたことが推測されます。個人で石造物の管理保管が引き継がれたきたことを考えると、愚禅が記した石碑が今に伝えられていることに大きな意味を感じます。



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