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斎藤別当実盛公敬仰会・文化講演会「斎藤別当実盛と妻沼地域の句碑・俳諧文化」 [句碑・歌碑]

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文化講演会「斎藤別当実盛と妻沼地域の句碑・俳諧文化」の様子

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妻沼東・西中学校の生徒による詩舞「実盛慕情」


 9月9日(日)、熊谷市妻沼中央公民館2階大会議室にて、平安時代末期の武将、斎藤別当実盛の顕彰団体である斎藤別当実盛公敬仰会による文化講演会が開催されました。講演会では「斎藤別当実盛と妻沼地域の句碑・俳諧文化」をテーマに、斎藤別当実盛の死に触発され江戸時代の俳人・松尾芭蕉が詠んだ「むざんやな甲の下のきりぎりす」と妻沼聖天山に建立された句碑などについてお話をしました。
 芭蕉は「奥の細道」の紀行中に、小松(石川県)の多太神社を訪れ、斎藤実盛の遺品の一つである兜を目にしました。幼い木曽義仲の命を救った実盛でしたが、年を経て平家方として義仲と戦わざるを得なくなる状況になります。白髪を染め若武者と見せ出陣するが討たれてしまいました。この伝説に思いを寄せて芭蕉はこの俳句を残しました。 「意に添わぬ戦いに出なければならなかった実盛は、なんといたわしいことだ。この兜の下のきりぎりす(今のこおろぎ)も、その悲しみを思い鳴いているようだ」という句意となります。当初は「あなむざん」という冒頭でしたが、『奥の細道』に編纂される際に同句のように「むざんやな」に変更されたと伝わります。
 その他、同会場では、妻沼八木節保存会による「斎藤別当実盛公」のほか、エプロンスィングによる文部省唱歌「斎藤実盛」、妻沼東・西中学校の生徒による詩舞「実盛慕情」の披露などがありました。講演会には約100名の来場がありました。



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講演「米軍資料から読む熊谷空襲」 [戦跡]




 7月に妻沼中央公民館で開催されたけやき大学平和学習会「米軍資料から読む熊谷空襲」の様子を動画収録し、YouTubeの江南文化財センターのサイトにアップしました。当日はJ:COMの取材もありJ:COM熊谷・深谷のデイリーニュースで放映されました。講演では熊谷空襲に関する米軍資料の解明について重点を置いて説明しました。戦争体験者の証言を補完する上でも重要な意味を持つ米軍資料に着目し、今後も調査研究を進めていけたらと考えています。また、本講演に係り熊谷空襲の直後に起こった神奈川県の小田原空襲について取材を進めていた東京新聞特報部からも問い合わせがあり、戦略計画の練られた熊谷と、戦略計画もなく終戦最後の空襲となった小田原との比較などが、後日、新聞に掲載されました。平和学習については終戦日の前後に多く機会が設けられていますが、一年間を通して学び、継承していくことが必要なのかも知れません。


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《葛飾北斎巡礼の旅》スタートアップイベント [近世]

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会場で展示された北斎画をモチーフにした着物

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『知られざる北斎』の著者、ノンフィクションライターの神山典士さんの挨拶

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金原亭世之介師匠による新作落語「北斎」

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司会ナビゲーターを務めたすみだ北斎美術館の学「芸人」葛飾ふとめ・ぎょろめさん


 ノンフィクションライターの神山典士さんが発表した著書『知られざる北斎』の刊行と関連した一大イベント《葛飾北斎巡礼の旅》の幕開けに際して、スタートアップイベント・パーティーが墨田区の「すみだパークシティ」で開催されました。これは江戸から信州の小布施を巡って作品を残した葛飾北斎にちなんだイベントで、墨田区の山本亨区長の挨拶を皮切りに、司会ナビゲーターはすみだ北斎美術館の学「芸人」葛飾ふとめ・ぎょろめさんが務め、医師の石原藤樹氏による基調講演「人生100年時代 北斎に学ぶ」、金原亭世之介師匠による新作落語「北斎」などが行われました。その他に、関係市町である長野県小布施町、静岡県富士市、そして熊谷市の紹介とともに、北斎について情報共有する機会となりました。熊谷市の富岡清市長からもメッセージが寄せられました。

 江戸時代の主要街道であった中山道の宿場町である熊谷ですが、北斎もこの街道を通じて江戸から信州の小布施へと足を運び、熊谷宿に停泊し、熊谷の人々と交流を深めたのかも知れません。
 現在、新たなるジャポニスムとして世界各国から日本文化が注目を集めています。その原点となった19世紀の欧米における日本美術の流行に目を向けますと、そこで果たした北斎芸術の意義は大きく、欧米の画家たちに多くの影響を与えたことがわかります。
 また、このジャポニスムの中にあった後期印象派の画家に感銘を受け、研鑽を積んだ画家に熊谷出身の森田恒友がいます。彼の存在からは、北斎から西欧を経て熊谷へという美術史の系譜を振り返ることもできます。
 《葛飾北斎巡礼の旅》が地域活性化に向けたコンテンツの一つとなることを期待するところです。また来年においても主催者の北斎サミットジャパン委員会を中心にイベントが計画されています。



詳細は《北斎巡礼の旅》特設サイトをご覧ください。
https://www.hokusaijyunrei.com/





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金子兜太 追悼の集い [句碑・歌碑]

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金子兜太氏生前の映像

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宮本町太鼓愛好会による秩父音頭と秩父囃子の演奏

 9月2日、埼玉県桶川市のさいたま文学館文学ホールにおいて、本年2月に逝去された金子兜太氏を偲ぶ会として、埼玉文芸集団・さいたま文学館共催による「金子兜太 追悼の集い」が開催されました。第1部「金子兜太を偲ぶ」では、生前の映像などが上映され、兜太氏が歌う「秩父音頭」の名調子が印象的でした。第2部「金子兜太を語る」では兜太氏に師事した俳人の高野ムツオ氏による講演があり、兜太の名句についての解説などがありました。第3部「金子兜太を送る」では、宮本町太鼓愛好会による秩父音頭と秩父囃子の演奏がありました。秩父音頭は兜太氏の父である金子伊昔紅氏によって再興された歴史があります。会場は満席となり兜太氏に対する多くの方々の思いを感じることができました。また資料の一つとして熊谷の句碑リーフレット「熊谷句碑物語」が配付され、熊谷に根付く俳句文化についてご紹介することもできました。今後においても熊谷の自然や歴史を彩る兜太氏の俳句について発信できたらと思います。







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「二十二夜〔熊谷の結わえるトコロ〕」が開催されました。 [民俗]


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熊谷市中西にある二十二夜塔・如意輪観音を安置する建屋

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夜には蝋燭に火が灯された。

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ダンスやバレエの要素を採り入れた着物ショー

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如意輪観音・二十二夜信仰についての講話

 旧暦7月22日にあたる9月1日、熊谷市中西の古民家で二十二夜様スターティングイベントが開催されました。当民家の南側に安置された如意輪観音信仰に基づく同地域の二十二夜様の行事を復活させ、再びスタートすることを目的に、所有者や地元の方々によって準備が進められてきました。月齢による二十二夜様の行事はかつて市内各地域で行われてきましたが、現在は継承されている祭礼は極めて少なくなっています。この月齢の仏神に該当する如意輪観音菩薩は石像で法輪などを持ち悪を払い、善良へと導いてくれることで知られています。特に群馬県から埼玉県にかけて如意輪観音像の石造物のほか二十二夜塔と刻まれた石碑が多くありますが、全国的には二十三夜塔の数が多く上回る地域もあるようです。二十三夜様は男性中心の宴が繰り広げられるのに対して、二十二夜様は女性による行事という特色もあり、今回の行事にも多くの女性陣が役割分担をして企画運営されていました。会では音楽や着物ショーの開催や、リノベーションした蔵での染物商品の販売などがあり、美食と美酒を堪能できるブースもありました。そして会の終盤、二十二夜信仰をはじめとする地域祭礼や如意輪観音についての講話を担当しました。次年度以降も計画的に二十二夜様を開催していくとのことです。




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