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吉備文化財修復所を訪ねて [仏像]

 9月1日(火)、さいたま市にある吉備文化財修復所の代表・牧野隆夫先生のもとを訪れました。牧野先生は、「仏像の町医者」と呼ばれ、これまで30年以上にわたり、日本各地の仏像修復を手掛けてきました。牧野先生には、源宗寺本堂保存修理委員会の一員として、仏像の調査・修復から移動まで、仏像にかかわる業務全般を担当していただいております。
 この日は、熊谷市指定有形文化財 木彫大仏坐像(平戸の大仏)の移動方法について図面やスケッチとともに、わかりやすく詳細なレクチャーをしていただきました。
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 薬師如来と観音菩薩の二体の木彫大仏坐像は高さ約4メートルに及びます。牧野先生によると、その構造は一言で言えば「箍(たが)のない桶」であり、非常に強度の弱い造りだといいます。巨大で尚且つ脆弱な仏像を搬出後、仮設倉庫内で補強をし、新たな本堂へと搬入する計画です。牧野先生でさえ経験したことのない一大プロジェクトです。
 本当にうまくいくのだろうかと不安を抱える私たちに、牧野先生は「やると決まったら、できると信じてやるしかない」と力強くおっしゃってくださいました。
 牧野先生が受ける修復の依頼の多くは、仏像を所有する寺院やそのお寺の檀家さんたちからです。当事業のように当事者ではない様々な分野のメンバーが集まり、委員会を立ち上げて文化財保護を行う事例は、極めて稀だと牧野先生はいいます。星宮の愛染堂保存修理事業から当市の文化財保護事業にご尽力いただき、この活動を間近で見てこられた牧野先生は、「熊谷の人たちの“熊谷愛”を感じる」とおっしゃっていました。「できるかできないかは、お金があるかないかじゃなく、それをやる人たちの気持ちだ。」牧野先生の言葉に頑張らねばと背筋が伸びます。
 文化財は修復をしてそれで終わりではありません。これから先、100年、200年と守っていかなければなりません。守り伝えて行くのは私たち「人」です。ご寄付をいただいた方々、見学に来てくださった方々を含め、このプロジェクトにどれだけ多くの人が関わりを持つことができるか。また、保存修理工事終了後も「平戸の大仏」が人々に開かれた身近な存在となるよう、今後の公開と活用のあり方も検討すべき大きな課題です。


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