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伊奈備前守忠次と熊谷 [その他]

 「平戸の大ぼとけ」で知られる源宗寺。現在は市内久下の東竹院が事務を兼務していますが、源宗寺は、かつて鴻巣市に所在する勝願寺の末寺でした。
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 勝願寺は伊奈氏の菩提寺であり、伊奈備前守忠次の墓があります。忠次は徳川家康に仕えた代官頭の一人です。忠次は、各地で治水・灌漑工事や検地、知行割、新田開発などを実施しました。そして関東各地には、忠次や伊奈氏一族が関わった水路や堤防が今でも残されています。D06F5BFC-6A2A-478F-976A-3F63A83B9975.jpeg4DD8697D-4CBE-4D7E-884C-B31A318E654D.jpeg
 その1つが熊谷市から行田市にわたって残る中条堤です。中条堤は、福川の南側に流れに沿って築かれた4キロメートルに及ぶ巨大な堤です。増水時に河川から溢れ出た水を堤の内側の地域に閉じ込めることで、江戸を水害から守っていました。この中条堤は、家康の命を受けた伊奈備前守忠次が構築したといわれています。
 
 市内妻沼地区、行田市北河原との境目あたりでは、今も残されている中条堤の一部を見ることができます。
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 コロナウイルスの影響で外出自粛が叫ばれていますが、気分転換に、散歩のついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。各施設の休館や県外への外出規制で思うように出かけられない今、身近な地域の魅力を再発見できるよい機会かもしれません。
 熊谷デジタルミュージアムでは、熊谷市の文化財マップをご覧になることができます。また、熊谷観光・文化財ナビゲーションアプリ「くまここ」も是非ご活用ください。


参考文献
和泉清司 2019『江戸幕府代官頭 伊奈備前守忠次』
松浦茂樹・松尾宏 2014『水と闘う地域と人-利根川・中条堤と明治43年大水害-』
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