SSブログ

大麻生川原明戸の生んだ宮大工にして彫刻師 飯田和泉守 [熊谷の名工]

 飯田家は久能山東照宮の五重塔改修の折に、名工としての名を馳せ、「和泉守」を拝命したことから、代々宮大工棟梁としてその名を継いでおり、江戸時代後期から明治時代までに各地に多くの作品を残しています。飯田家の一族には建築だけでなく彫刻にも優れた人材も輩出しており、残された作者名からは「飯田岩次郎」「飯田仙之助」「飯田常吉」「飯田竹三郎」「飯田元三郎」「飯田勇次郎」「飯田岩吉」「飯田岩五郎」等の名がみえます。これらの名を残す建物や彫刻には次のようなものがあります。
 箭弓神社本殿彫刻(東松山市)、文殊寺(熊谷野原-焼失前)、三峯神社水屋(秩父市)、雷電神社(東松山市)。妙安寺観音堂(東松山市)、秩父市中町屋台欄間彫刻(秩父市)、秩父市本町屋台表鬼板彫刻(秩父市)、熊谷市本町区祇園祭御神酒枠などが挙げられます。まだ知られていない作品も多々あると思われるので、寺社建築や旧家の欄間彫刻などに注意が必要です。
 飯田家の名工たちは河原明戸の妙道寺に葬られており、墓石のひとつには飯田家に連なる多数の子弟の名(近隣の匠と呼ばれた大工たち)が刻まれていることから、かれらの育成にも関わっていたことが知られます。
 参考、「熊谷人物事典」日下部朝一郎 編
image001s.jpg 大麻生河原明戸 明道寺
image003s.jpg 門弟たちの名を刻む台石

image005s.jpg
写真「祇園祭御神酒枠」熊谷市第一本町区
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。