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寺内廃寺の整理から―2 平安時代の籾の痕跡 [奈良平安時代]

 弥生時代の土器には籾跡圧痕の残ることが稲作の証拠として取り上げられますが、弥生時代以後も稲作は続けられています。ときおり、火災建物跡などから炭化したモミやおにぎりが発見されて話題となります。
 寺内廃寺から出土した土師器坏に籾跡痕が残っていました。坏に埋もれたように深く残る圧痕から、坏に付着したというより埋め込んだという印象を受けます。縄文土器には意図的に豆類を埋め込んだ例も知られ、特別に作られた品ではないかとの推定もあります。寺内廃寺から出土した坏に籾とはどんな意味があったのでしょうか。なお、この坏は現在のごはん茶碗のような手持ちの容器で、この形は寺内廃寺では灯明血にも使われています。
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写真1 土師器坏 左側―外面、右側―内面 籾痕が残る

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写真2 同じ種類の坏 この坏は灯明皿に使われていた。

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写真3 籾痕の拡大  米の収穫期頃に土器を造っているとも推定できます。
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