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旅の記憶‐16 那須野の開拓へ 4 -開拓地のその後- [紀行]

 現在開墾地周辺地を見渡すと屋敷森を負う大きな住まいと南下がりの傾斜地に水田と畑が広がり、水稲や野菜が造られていることが窺われます。南方には集落の子供たちが通う「埼玉小学校」をはじめ公共施設が位置していました。さらに熊谷とのかかわりを示すモニュメントが大通りの一角にありました。太平洋戦争時に造られた「那須野陸軍飛行場」の巨大な石碑です。文面を読むと「陸軍熊谷飛行学校塩原分教所」とあります。
 どうして熊谷飛行学校の分校が那須野に造られたのかは定かではありませんが、広範囲の土地が確保しやすかった点や飛行距離や飛行時間の上で教習基地として適当な環境であったと思われます。埼玉開墾地の一角を占めた飛行場基地は戦後に廃止、再び開墾され現在に至っています。所々に基地跡施設の一部が残るようですが、この大きな碑と埼玉開墾地の歴史を知り熊谷との繋がりを強く感じたところです。
 那須野を訪問する機会がありましたら「那須野が原開拓資料館」や「那須塩原市埼玉」付近も足を延ばしてはどうでしょうか。
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写真1「那須野陸軍飛行場」の巨大な碑

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写真2 「埼玉開墾地」と「陸軍那須飛行場」跡 (グーグルアースより転載)
    飛行場は中央左半の新しい区画をしめていた。
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