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旅の記憶‐15 那須野の開拓へ 3 -熊谷から新天地へ- [紀行]

 那須東原の開拓事業は明治23年頃にはめどがつき、開墾地での本格的な農業経営が始まることになります。生活の基盤か整ったこの地には「埼玉」の名が付けられ、小学校などの公共施設にも明示されています。また、小字に相当する地域名には「稲村・四方寺・奈良・上中条・北河原・熊谷・行田」などが存在しています。開拓地に郷土の地名を付けたのであり、開拓事業に当たった熊谷の人々の想いが伝わってきます。
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写真1 埼玉集落の案内板 (左下方に集落の区分が示されている―写真2へ)
写真2 集落に付けられた熊谷の地名― 通り名には右側には赤字で「さきたま」と記し、 これを頭文字として「わやか西通り」「ぼうの稲村通り」「のしい中通」 「ごころ東通り」とまちづくりの思いが標語となっています。

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写真3 埼玉開墾地の北からの現況  整然と区画された耕地と防風林を背後にした
集落の様子。かつてこの一帯は原生林に覆われていたと思われる。
(グーグルアースより転載)
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