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「もの」と「ひと」の旅―15 ―どうしても見つけたい銅― [紀行]

 国内での銅生産は奈良時代の「和銅」の発見から始まるようですが、それまでは銅製品の作成は銅塊や銅製品などの輸入素材から造られていました。弥生時代の銅剣・銅鐸や古墳時代の鏡などがよく知られた遺物で、これらを原料として別製品を作ることも国内では行われました。このような日本製品としてつくられた鏡は北島遺跡や冑山地区の古墳からも出土しています。仏教が広まり仏像・仏具や貨幣の鋳造など銅の需要はより高まり、朝廷はその確保に迫られました。地方に国司・郡司が配置された奈良時代以後、全国の資源調査が進められたようです。埼玉県では秩父産出の銅である「和銅」の発見が良く知られています。この発見から元号に使われたともいわれ、「和同開珎」の文字を持つ貨幣が作られました。 
 秩父地方は、古い地層が各所に露出し、鉱物資源や石材資源を得やすい地質と地形に特徴のある地域です。実際、市域から出土する縄文時代の石皿などの石器や古墳の石室石材、中世の板碑、木材資源なども荒川を使い運ばれたものと思われます。 
 熊谷市内からは和同開珎の発見はまだありませんが、「長年大寶」は諏訪木遺跡から、「饒益神宝」は飯塚北遺跡から出土しています。いずれも平安時代前期の集落跡で、長年大寶は嘉祥元年(848)、饒益神宝は貞観元年(859)が鋳造の初年とされています。
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写真1 和同記念碑と和同献上の聖神社の御朱印

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写真2 (皇朝十二銭の一つ)で2枚発見「長年大寶」 諏訪木遺跡出土の遺物
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