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終戦記念日―小原陸軍飛行場の回想 [戦跡]


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昭和19年の小原陸軍飛行場の造成作業を担った旧制中学生などの群像


 終戦記念日となる今日、一つのコラムをここに記したい。

 毎年ロンドンで開催されているクラシック音楽の祭典「プロムス」。2015年の現代音楽部門では、埼玉県出身の若き作曲家、薄井史織さんが新作を発表し高い評価を得た。曲名は「オーフィオコーディセプス・ユニラテラーリス・エス・エル」。作曲者は増殖する自然の菌を連想し命名したと説明している。音楽の意味を理解することは難しいが、私は曲名と独特の不協和音の響きから、熊谷の江南地域にある深い森とその湿潤な木陰を思い起こした。

 戦前、江南地域には小原陸軍飛行場と呼ばれる熊谷陸軍飛行学校の補助施設があった。その飛行場は地元住民と当時の県立熊谷中学などの学徒により広大な森林伐採と滑走路への整地が進められ、昭和19年に完成した。通称アカトンボという95式1型練習機の離着陸が主要の役割だったが、戦争終盤には特攻基地へ向かうゼロ戦の配備もあった。

 国内最後の空襲の一つ、熊谷空襲の前日の8月13日、小原飛行場も米軍機による機銃掃射を受け、飛行機や周辺施設が焼失した。戦後、同地の大半では森林が再生し滑走路の形跡は見当たらないが、「掩体壕(えんたいごう)」と呼ばれる飛行機の格納跡が残されている。

 現代の音楽が戦争の記憶を伝える森の生命力と結びつき、平和の意味を問いかけている。





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