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きかは便郵113 [きかは便郵]

熊谷地域の昔の絵葉書紹介113回目。今回も、熊谷堤の桜で、前回紹介した残りの3枚です。
sakura5.jpg
堤の上に植えられた桜の枝が、堤の下まで伸びており、枝を支える棒が立てられています。堤の上や堤の下には大勢の和服を着た花見客が写っており、左下には乳母車を押す和服を着た女性の姿も見えます。
sakura6.jpg
桜は堤の上と、堤下にも植えられていたことがわかります。
sakura8.jpg
堤の外側に接して灯篭と、木製の鳥居があり、桜の陰には神社のような建物が写っています。神社の脇には大きな石碑が建てられており、写真左手には、塚状の高まりが写っています。塚の下部には石が葺かれており浅間塚と推測されます。
この写真の場所ですが、桜堤に接して神社があることから、現在の上熊谷駅付近に所在した、大神宮社と浅間神社と推測されます。現在のこ神社は取り壊されていることから、当時の様子がわかる貴重な写真です。
↓は、大正3年ころの土手外商店街が描かれた地図です。線路脇の桜堤に接して大神宮社と浅間神社が位置しています。
jinja.jpg

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)年2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
3. 内務省から名勝の指定を受けたのは大正12年(1923)で、大火で焼失したのが大正14年(1925)
以上のことから、この絵葉書は、大正12年~大正14年の間に製作されたものと推測されます。

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