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きかは便郵88 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介88回目。今回は、「松本製粉所第二工場」です。
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写真は、手前に高崎線の線路が走っており、線路脇に塀で囲まれた平屋の工場と3階建ての建物群が写っています。 写真奥には、煙を出す高い煙突があり、片倉製糸所の煙突と思われます。
左上には髭を蓄えた正装の男性が写っています。大正4年、松本米穀製粉株式会社を設立した松本平蔵の長男で跡を継いだ、松本真平(1876-1972)です。
写真の下には、「熊谷松本製粉所第二工場 中村写真館発行」と印字されています。

松本製粉所は、安永元年(1772)、 松本重左衛門の二男源之丞が本町2丁目に糸繭商として店をかまえ、その後文化年代に穀物商を営むことに始まります。大正3年(1914) 松本米穀店と改称し、松本米穀製粉株式会社を設立。昭和5年(1930)、 名古屋製粉株式会社及び新田製粉株式会社を合併し、製粉部門を日東製粉株式会社と改称し、松本米穀肥料株式会社を設立しています。この松本製粉所は、松本米穀精麦株式会社として現在まで続く200年企業として、熊谷市内でも有数の老舗企業です。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)年2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/3になっていることから、明治40年(1907)以降で、宛名面通信文記載範囲が1/2になった大正7年(1918)以前。
3.松本米穀製粉株式会社の設立は大正3年(1914)。
このことから、この写真は大正3年(1914)~大正7年(1918)の間に製作されたものと思われます。


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