SSブログ

きかは便郵32 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介32回目。今回は、熊谷町に所在した「大里郡乾繭販売利用組合 熊谷乾繭場及倉庫」です。
mayu1.jpg
乾繭(かんけん)とは、貯蔵のため乾燥器で繭を乾燥し、中の蛹(さなぎ)を殺すことを指します。生繭の場合、蛹が羽化するので5日、殺蛹しても2~3週間程度しか保存できませんが、乾繭にすると約1年程度は保存が可能となります。
写真手前には、2階建ての乾繭場と煙を出す大きな煙突が2本写っています。延870坪の建物で、繭を乾燥する田端式・帯川式汽熱復式の乾燥器を備えていました。
その乾燥した繭を保管する乾繭倉庫が、写真の奥に写っています。この倉庫は、鉄筋コンクリート3階建で、乾燥通風装置を備え、県内一の7,000石の収容力を誇り、生産過剰繭を保管し供給の調整を行っていました。
乾繭販売利用組合は、大正14年8月に約5,000人の養蚕家を組合員として、産業組合法によって創立されたもので、熊谷市名誉市民の石坂養平(1885-1969)が、大里郡乾繭販売利用組合長に就任しています。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
3.熊谷乾繭場・倉庫の創業は大正14年(1925)
以上のことから、この絵葉書は、大正14年(1925)~昭和8年(1933)の間に製作されたものと推測されます。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。