管玉の穿孔 [弥生時代]
前中西遺跡第3号礫床木棺墓出土のNo,86の緑色凝灰岩製管玉です。片側が欠損しており、現存長15.26mm、径2.54mm、重量0.14gをはかります。
欠損部を観察すると 孔の中に段が観察できます。これは、管玉の穿孔を両側から行なった際の貫通部と思われます。貫通部は、管玉の破損部付近にあり、穿孔が片側から行なわれ、後少しで貫通と言うところで、方向を変えて穿孔を行なった結果の段と判断できます。当初は片方向からの貫通を試みましたが穿孔困難と判断し、穿孔方向を変えたものと思われます。
破損が無ければ観察できなかったもので、「怪我の功名」でした。
ちなみに、弥生時代中期の管玉は穿孔には石針を用い、後期~古墳時代になると鉄針を用いて穿孔しています。石質にもよりますが、長い管玉は両側から、短い管玉は片側から穿孔する傾向が認められます。
欠損部を観察すると 孔の中に段が観察できます。これは、管玉の穿孔を両側から行なった際の貫通部と思われます。貫通部は、管玉の破損部付近にあり、穿孔が片側から行なわれ、後少しで貫通と言うところで、方向を変えて穿孔を行なった結果の段と判断できます。当初は片方向からの貫通を試みましたが穿孔困難と判断し、穿孔方向を変えたものと思われます。
破損が無ければ観察できなかったもので、「怪我の功名」でした。
ちなみに、弥生時代中期の管玉は穿孔には石針を用い、後期~古墳時代になると鉄針を用いて穿孔しています。石質にもよりますが、長い管玉は両側から、短い管玉は片側から穿孔する傾向が認められます。
2014-02-28 11:24
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